4.自己愛を充たしてくれる対象を「自己対象」と呼ぶ
・[1.他人を映し鏡にして自己愛を充たす]
・[2.理想の対象を介して自己愛を充たす]
・[3.自分に似た対象を介して自己愛を充たす]
ここまで、三系統の自己愛の充たし方を紹介してきた。「自己愛を充たす」にはバリエーションがあって、チヤホヤされたり衆目を集めたりするだけが自己愛の充たし方とは限らない、というニュアンスが少しでも伝わっていればいいなと思う。
とはいえ、三系統の自己愛の充たしかたには共通しているところもある。それは、自己愛を充たすには何らかの対象が必要で、完全に一人ぼっちでは充たしようがない、という点だ。
[1.他人を映し鏡にして自己愛を充たす]ならい自分を褒めたり見つめたりしてくれる対象が必要だし、[2.理想の対象を通して自己愛を充たす]なら自分が理想や尊敬を仮託できる対象が必要になる。[3.自分に似た対象を通して自己愛を充たす]にも、自分と共通点があると感じられるような対象が必要だ。
だから、自宅に引きこもっていて誰とも会わない状態や、無人島に一人で置き去りにされた状態では、自己愛を充たすことは不可能に近い。また、人間関係やコミュニケーションが巧くいっていない人や、自分と他人にやたら厳しい人の場合も、[1.][2.][3.]いずれかの条件を満たしてくれそうな対象に片端からダメだししてしまうぶん、自己愛を充たすチャンスが少なそうだ。
コフートの自己心理学では、こうした、[自己愛を充たす為に必要とされている対象][自己愛を充たしてくれると体感できている対象]のことを[自己対象]と呼んでいる。この[自己対象]を、[1.鏡映]であれ、[2.理想]であれ、[3.自分に似た誰か]であれ、まるで自分自身の一部や、自分自身と地続きの存在のように体感できている最中には、私達の自己愛はグンと充たされるし、充たされているうちは心強くなって、メンタルヘルスが維持しやすくもなるのだ。
【自己愛の充たし方ごとの、自己対象の分類】
この[自己対象]という言葉に馴染んでもらうのも兼ねて、以下に自己対象の例を、[1.][2.][3.]の三系統ごとに紹介してみる。
・1.鏡映自己対象
[1.他人を映し鏡にして自己愛を充たす]際には、母親の暖かな目線にせよ、拍手で迎えてくれる聴衆にせよ、とにかく、自分自身の肯定的な映し鏡として役に立つような存在が必要不可欠だ。例えば、以下に挙げるような人達は、鏡映自己対象として、自己愛を充たす機能をじゅうぶん果たしてくれるだろう。
・ハイハイ歩きをする赤ちゃんを暖かく見守り、抱きかかえる母親
・運動会や発表会で頑張っている時の拍手や声援、称賛や敢闘の拍手など
・いっぱしの仲間として認めてくれている友人グループのメンバー
・キャバクラに通い詰めている男性を、チヤホヤしているホステス
これらは鏡映自己対象としてストレートなものだと思う。それ以外にも、以下の二例のように、一見マイナスにしかみえないまなざしが、自己対象に恵まれていない人にとっては「無いよりはマシな鏡映自己対象」「木の根をかじるような鏡映自己対象」として機能することがある。
・構って欲しい暴走族に対して集まる、道行く人達の否定的なまなざし
・2chのスレッドを荒らすしか能の無い粘着書き込みに対する、非難や罵倒の反応
また、人間以外の対象が、鏡映的自己対象として機能することもあり得る。最近のメディアコンテンツやデジタルガジェットのなかには、自分自身の素晴らしさなりセンスなり価値なりを肯定・承認・証明してくれるようなものが数多い。
・視聴者を肯定してくれるような台詞の、アニメキャラクターや美少女キャラクター
・「センスのいい人だけが持っている」という触れ込みの限定アイテム
・ホームページのアクセスカウンタ、FC2ブログの拍手、はてなスター
これらはどれも人間ではないが、[1.他人を映し鏡にして自己愛を充たす]機能をある程度補償することがあり得る。自己愛に飢えているような人が、自己愛を充たす補助手段としてこうした物品やコンテンツに頼ることは珍しくなく、20世紀末以降の先進国では、鏡映的自己対象として体験しやすい・自己愛を充たすのに好都合な商品が大量消費されている。
・2.理想化自己対象
[2.理想の対象を通して自己愛を充たす]際には、誇り高い背中をみせてくれる父親にせよ、尊敬できる先生にせよ、理想や憧れをなるべく持続的に引き受けてくれるような対象が必要になる。理想や憧れを引き受けて自己愛を充たしてくれる対象のことを、自己心理学では[理想化自己対象]と呼ぶ。例えば、以下のような人物は、モロに理想化自己対象に該当するだろう。
・模範にしたいと思えるような先生やコーチ
・リーダーとして認められる上司
・信仰している宗教の、信頼できる聖職者
こうした理想や憧れの存在が持続的に理想化自己対象として体験されているなら、自己愛が充たされ、ひいてはメンタルヘルスも安定しやすくなる。しかも、技能を授けてくれる間近な人物が理想化自己対象として感じられている場合には、「あこがれの師匠に熱意を持って学ぶ弟子」の如く、技能の習得が促進される。理想化自己対象は年長者から技能を学んだり盗んだりを大いに促進してくれるので、誰かから技能を分けてもらうにあたって、実はかなり重要な自己愛の充たし方だったりする。
残念ながら、間近な人物を理想化自己対象として体験出来るチャンスに恵まれない人が世の中にはかなり存在している。その欠乏を埋めるかのように、メディアコンテンツの向こう側には沢山の理想化自己対象が登場し、“商品としてパッケージ化され、販売されている”。
・理想のミュージシャンやタレント
・世界選手権などで活躍するスポーツ選手
・過去の偉人や、現在活躍している有名人
また、傑作や大事業、フィクション作品に登場する架空の人物のような、実在の人間以外の対象が理想化自己対象として体験されることも珍しくない。
・フィクション作品に出てくるヒーローやヒロイン
・素晴らしい芸術作品や音楽作品
・スペースシャトル打ち上げや新幹線のような大プロジェクト
・特定の学術大系や書籍、哲学、宗教、など
これら、人間ではない理想化自己対象の場合も、ツボにはまると技能や学習意欲の原動力となり得る。素晴らしい音楽に導かれて器楽の練習に励む人や、特定の学術大系に対する畏敬の念が勉強へのエネルギーになっている人も珍しくない筈だ。
3.双子自己対象
[3.自分に似た対象を通して自己愛を充たす]ためには、自分と共通点があると感じられる自己対象が必要になる。自己心理学でいう[双子自己対象]に該当しそうなのは、以下のような人達だろう。
・価値観や素養や趣味などを共有していると感じられる仲間
・なんだか似たような境遇を抱えていると感じられる相手
・故郷から遠く離れた土地で出会った同郷人
双子自己対象は、学童期~思春期の学生生活のなかではとりわけ体験しやすく、また重要でもある。価値観や趣味を共有する仲間同士が、お互いのことを双子自己対象として体験しながら、心理学的には自己愛-共同体とでもいうべきコミュニティを形成することはよくあることで、こうしていると、メンタルヘルスが維持されやすくなるうえ、仲間内での切磋琢磨や協力が強まりやすくもなる。こうした効果は、同じような服を着たり、同じ携帯ストラップを所有したり、同じ溜まり場に集まったりすることによって、いっそう高められることがある。
【お互いを自己対象として体験し、自己愛を充たしあいながら私達は生きている】
以上、自己愛の充たしかた三系統ごとに、自己対象の具体例を紹介してみた。
自己心理学風に考えるなら、私達の身の回りの人達や師匠、趣味や時間を共有している人達、愛している物品やメディアコンテンツ等々は、よほどひどい対象でない限り、多かれ少なかれは自己対象という言葉に該当し、多かれ少なかれ自己愛を充たしてくれている、と言えると思う。
もちろん、その自己対象としての性質は、[1.鏡映自己対象][2.理想化自己対象][3.双子自己対象]といった具合に異なるし、同一人物がある時は理想化自己対象として、また別の時には双子自己対象として体験されるような事もあるだろう。
そういった差異はあるにせよ、お互いを自己対象として体験しあい、お互いに自己愛を充たしあいながら生きているのが私達だ。あなたは、誰かを自己対象として体験し、自己愛を充たしているだろうし、誰かがあなたのことを自己対象として体験して、自己愛を充たしているのだろう。
→続き(5.自己対象の要求水準≒自己愛の成熟度)を読む
・[2.理想の対象を介して自己愛を充たす]
・[3.自分に似た対象を介して自己愛を充たす]
ここまで、三系統の自己愛の充たし方を紹介してきた。「自己愛を充たす」にはバリエーションがあって、チヤホヤされたり衆目を集めたりするだけが自己愛の充たし方とは限らない、というニュアンスが少しでも伝わっていればいいなと思う。
とはいえ、三系統の自己愛の充たしかたには共通しているところもある。それは、自己愛を充たすには何らかの対象が必要で、完全に一人ぼっちでは充たしようがない、という点だ。
[1.他人を映し鏡にして自己愛を充たす]ならい自分を褒めたり見つめたりしてくれる対象が必要だし、[2.理想の対象を通して自己愛を充たす]なら自分が理想や尊敬を仮託できる対象が必要になる。[3.自分に似た対象を通して自己愛を充たす]にも、自分と共通点があると感じられるような対象が必要だ。
だから、自宅に引きこもっていて誰とも会わない状態や、無人島に一人で置き去りにされた状態では、自己愛を充たすことは不可能に近い。また、人間関係やコミュニケーションが巧くいっていない人や、自分と他人にやたら厳しい人の場合も、[1.][2.][3.]いずれかの条件を満たしてくれそうな対象に片端からダメだししてしまうぶん、自己愛を充たすチャンスが少なそうだ。
コフートの自己心理学では、こうした、[自己愛を充たす為に必要とされている対象][自己愛を充たしてくれると体感できている対象]のことを[自己対象]と呼んでいる。この[自己対象]を、[1.鏡映]であれ、[2.理想]であれ、[3.自分に似た誰か]であれ、まるで自分自身の一部や、自分自身と地続きの存在のように体感できている最中には、私達の自己愛はグンと充たされるし、充たされているうちは心強くなって、メンタルヘルスが維持しやすくもなるのだ。
【自己愛の充たし方ごとの、自己対象の分類】
この[自己対象]という言葉に馴染んでもらうのも兼ねて、以下に自己対象の例を、[1.][2.][3.]の三系統ごとに紹介してみる。
・1.鏡映自己対象
[1.他人を映し鏡にして自己愛を充たす]際には、母親の暖かな目線にせよ、拍手で迎えてくれる聴衆にせよ、とにかく、自分自身の肯定的な映し鏡として役に立つような存在が必要不可欠だ。例えば、以下に挙げるような人達は、鏡映自己対象として、自己愛を充たす機能をじゅうぶん果たしてくれるだろう。
・ハイハイ歩きをする赤ちゃんを暖かく見守り、抱きかかえる母親
・運動会や発表会で頑張っている時の拍手や声援、称賛や敢闘の拍手など
・いっぱしの仲間として認めてくれている友人グループのメンバー
・キャバクラに通い詰めている男性を、チヤホヤしているホステス
これらは鏡映自己対象としてストレートなものだと思う。それ以外にも、以下の二例のように、一見マイナスにしかみえないまなざしが、自己対象に恵まれていない人にとっては「無いよりはマシな鏡映自己対象」「木の根をかじるような鏡映自己対象」として機能することがある。
・構って欲しい暴走族に対して集まる、道行く人達の否定的なまなざし
・2chのスレッドを荒らすしか能の無い粘着書き込みに対する、非難や罵倒の反応
また、人間以外の対象が、鏡映的自己対象として機能することもあり得る。最近のメディアコンテンツやデジタルガジェットのなかには、自分自身の素晴らしさなりセンスなり価値なりを肯定・承認・証明してくれるようなものが数多い。
・視聴者を肯定してくれるような台詞の、アニメキャラクターや美少女キャラクター
・「センスのいい人だけが持っている」という触れ込みの限定アイテム
・ホームページのアクセスカウンタ、FC2ブログの拍手、はてなスター
これらはどれも人間ではないが、[1.他人を映し鏡にして自己愛を充たす]機能をある程度補償することがあり得る。自己愛に飢えているような人が、自己愛を充たす補助手段としてこうした物品やコンテンツに頼ることは珍しくなく、20世紀末以降の先進国では、鏡映的自己対象として体験しやすい・自己愛を充たすのに好都合な商品が大量消費されている。
・2.理想化自己対象
[2.理想の対象を通して自己愛を充たす]際には、誇り高い背中をみせてくれる父親にせよ、尊敬できる先生にせよ、理想や憧れをなるべく持続的に引き受けてくれるような対象が必要になる。理想や憧れを引き受けて自己愛を充たしてくれる対象のことを、自己心理学では[理想化自己対象]と呼ぶ。例えば、以下のような人物は、モロに理想化自己対象に該当するだろう。
・模範にしたいと思えるような先生やコーチ
・リーダーとして認められる上司
・信仰している宗教の、信頼できる聖職者
こうした理想や憧れの存在が持続的に理想化自己対象として体験されているなら、自己愛が充たされ、ひいてはメンタルヘルスも安定しやすくなる。しかも、技能を授けてくれる間近な人物が理想化自己対象として感じられている場合には、「あこがれの師匠に熱意を持って学ぶ弟子」の如く、技能の習得が促進される。理想化自己対象は年長者から技能を学んだり盗んだりを大いに促進してくれるので、誰かから技能を分けてもらうにあたって、実はかなり重要な自己愛の充たし方だったりする。
残念ながら、間近な人物を理想化自己対象として体験出来るチャンスに恵まれない人が世の中にはかなり存在している。その欠乏を埋めるかのように、メディアコンテンツの向こう側には沢山の理想化自己対象が登場し、“商品としてパッケージ化され、販売されている”。
・理想のミュージシャンやタレント
・世界選手権などで活躍するスポーツ選手
・過去の偉人や、現在活躍している有名人
また、傑作や大事業、フィクション作品に登場する架空の人物のような、実在の人間以外の対象が理想化自己対象として体験されることも珍しくない。
・フィクション作品に出てくるヒーローやヒロイン
・素晴らしい芸術作品や音楽作品
・スペースシャトル打ち上げや新幹線のような大プロジェクト
・特定の学術大系や書籍、哲学、宗教、など
これら、人間ではない理想化自己対象の場合も、ツボにはまると技能や学習意欲の原動力となり得る。素晴らしい音楽に導かれて器楽の練習に励む人や、特定の学術大系に対する畏敬の念が勉強へのエネルギーになっている人も珍しくない筈だ。
3.双子自己対象
[3.自分に似た対象を通して自己愛を充たす]ためには、自分と共通点があると感じられる自己対象が必要になる。自己心理学でいう[双子自己対象]に該当しそうなのは、以下のような人達だろう。
・価値観や素養や趣味などを共有していると感じられる仲間
・なんだか似たような境遇を抱えていると感じられる相手
・故郷から遠く離れた土地で出会った同郷人
双子自己対象は、学童期~思春期の学生生活のなかではとりわけ体験しやすく、また重要でもある。価値観や趣味を共有する仲間同士が、お互いのことを双子自己対象として体験しながら、心理学的には自己愛-共同体とでもいうべきコミュニティを形成することはよくあることで、こうしていると、メンタルヘルスが維持されやすくなるうえ、仲間内での切磋琢磨や協力が強まりやすくもなる。こうした効果は、同じような服を着たり、同じ携帯ストラップを所有したり、同じ溜まり場に集まったりすることによって、いっそう高められることがある。
【お互いを自己対象として体験し、自己愛を充たしあいながら私達は生きている】
以上、自己愛の充たしかた三系統ごとに、自己対象の具体例を紹介してみた。
自己心理学風に考えるなら、私達の身の回りの人達や師匠、趣味や時間を共有している人達、愛している物品やメディアコンテンツ等々は、よほどひどい対象でない限り、多かれ少なかれは自己対象という言葉に該当し、多かれ少なかれ自己愛を充たしてくれている、と言えると思う。
もちろん、その自己対象としての性質は、[1.鏡映自己対象][2.理想化自己対象][3.双子自己対象]といった具合に異なるし、同一人物がある時は理想化自己対象として、また別の時には双子自己対象として体験されるような事もあるだろう。
そういった差異はあるにせよ、お互いを自己対象として体験しあい、お互いに自己愛を充たしあいながら生きているのが私達だ。あなたは、誰かを自己対象として体験し、自己愛を充たしているだろうし、誰かがあなたのことを自己対象として体験して、自己愛を充たしているのだろう。
→続き(5.自己対象の要求水準≒自己愛の成熟度)を読む