【1.日本のひきこもり、ヨーロッパのひきこもり――フランスとイタリアの現状に触れて】
 名古屋大学医学部 保健学科 鈴木國文先生
 ※この発表は、残念ながら前半パートの一部が聴けませんでした。その点に留意してお読みください。
 
 当初、ひきこもりは日本特有の現象だと紹介していたヨーロッパ諸国の研究者達。しかし、そんな彼等が「自分達の国にもひきこもりはいる」と言い出した。そういうことを彼らが言い出した背景として、「「内と外」の境界がヨーロッパの傷つき(ユーロ安など)で不明瞭になっているがために、日本のひきこもりが注目されるようになっているんじゃないか」というお話もあった。

【イタリアでのひきこもりに関するまとめ】
・インターネットをやっている引きこもりが多い
・内気な男性は、イタリアの社会では社会適応がやりにくい。
・ひきこもり男性のほうがひきこもり女性より多く、イタリアの場合、18歳以下の若年者が多い。
・引きこもり当事者の発言の一つ:「日本では百万人いるのよ。イタリアは遅れているの」
・外部から見て明確な理由無しに部屋に閉じこもっている。期間は数ヶ月?数年。
・精神病理学誌の論調(2011):引きこもりに対する関心と、日本そのものに対する関心とが混淆している論調。例:「テクノロジーと武士道との対立についての言及、敗戦後の国家的社会変化についての言及、“父親のいない家庭で母親が礼儀正しい日本の子どもとして躾けている”等々。
 
【フランスでの症例】
 続いて、フランスでのひきこもりケースについての発表があった。日本のひきこもりに比べて、直接的な精神科的問題(それこそDSMの診断名がモロに該当するような)が前景に出ているなぁと思った。また、一人暮らしが出来ていたり、ガールフレンドをつくるなど、アクティビティが高く、異性に対する積極性が高い。日本ではひきこもりは珍しくないが、こういうタイプのひきこもりには、なかなか出遭わない。というか、発表症例を眺めて、日本だと「ニート」という括りになりそうだと私は思った。

 【日本のひきこもりについて】
 対照として、日本のひきこもり症例も紹介したうえで、日本の一次的ひきこもり(ここでいう一次的とは、英語でいうprimary、つまり統合失調症などの精神疾患が先立たないひきこもりの意) の特徴について紹介があった。

・戦わずして負ける:戦う前に下りる「仮定法過去完了的万能感」
・自らの欲望による理想像の弱さ:他人の希望に左右されやすく、自身の理想像は弱い。
・「あるべき自分」という理想像と、理想像への両親の備給:高い理想を手放さない自分。その高い理想を手放さないことに、しばしば両親も荷担している。
・他者による評価を守るための、回避的行動
・これらが維持困難になるようなライフイベントが起こった時に、軽症化していくケースが稀にある
 
【そのほか出てきた話】
・ヨーロッパの引きこもりは、日本に比べると「一次的な症例」が少ない。また日本のような高学歴社会の中心部よりも、社会の辺縁部の事例が多いようにも見える(ちなみにフランスひきこもりの症例2は、移民家族だった)。また、異性関係を持っている例が多い。こうしたに事情にもかかわらず、「ヨーロッパにもひきこもりがいる」という論調が生じているのは面白い現象だ、と演者さんは仰っていた。
・ネット依存とひきこもりについて:ひきこもりの「原因」ではなく「結果」だと日本では言えるが、ヨーロッパではどうなのか?
・「ひきこもりの二重のパラドックス」:外部に阻害されているように見えながら、万能感を維持。内にひきこもっているように見えながら、外部を体験。
・質疑応答で、「東京駐在のジャーナリストが日本のひきこもりを紹介しはじめた端緒だから、どうしても、表層的になったり、ストーリーを念頭に置いたものだったり、そういう形でヨーロッパに輸出されているという部分もある。」と指摘があった。→筆者は、「確かにそうだけど、じゃあどうしてヨーロッパがそういう話に釣られて感心を高め始めたのか、を、探っていきたいところと思うんです」と答えていた。

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