・理想化自己対象として自己愛を充たすのに適した「萌え属性」

 
 ひとつ前の文章では、鏡映自己対象としてオタク消費者の自己愛を充たしてくれるタイプの――言い換えるなら、褒めてくれたり認めてくれたりまなざしてくれたり愛してくれたりすることで自己愛を充たしてくれるタイプの―― 「萌え属性」とそのキャラクターを紹介してみた。

 しかし、『ロスジェネ心理学』第四章やこちらでも書いたように、自己愛を充たす形式には幾つかのバリエーションがある。そのバリエーションをおさらいすると、

鏡映自己対象:自分を認めたり愛したりしてくれることで自己愛を充たしてくれる対象
理想化自己対象:理想を引き受けてくれることで自己愛を充たしてくれる対象
双子自己対象:自分に似た特徴や境遇を共有することで自己愛を充たしてくれる対象
  といった具合で、一言で自己愛を充たすと言っても、充たす形式は様々だ。

 興味深いことに、「萌え」キャラクターおよび「萌え属性」は、理想化自己対象として自己愛を充たす様式や、双子自己対象として自己愛を充たす様式をもカバーするよう進化してきた。とりわけ、2000年以降の「萌え」キャラクターは、オタクの理想を引き受けることで自己愛を充たしてくれるキャラクターや、オタク自身によく似た特徴を共有することで自己愛を充たしてくれるキャラクターが頻繁に登場するようになり、強い支持を集めるようになっている。

 このhtmlでは、理想化自己対象として自己愛を充たすのに適した「萌え属性」について紹介してみようと思う。

 ※各キャラクターおよび作品にはハイパーリンクが貼られており、なるべく公式サイトにリンクを貼るように努めてはみましたが、いかんせん古い作品も多いため、一部はgoogle画像検索や第三者のウェブサイトにリンクが貼ってある場合があります。予めご了承下さい。

 【姫属性】
 古くは『風の谷のナウシカ』のナウシカから、新しくは『ゼロの使い魔』に登場するアンリエッタに至るまで、理想化しやすい様々な美徳(献身、気品、勇気、友愛)を惜しげもなく見せてくれる姫君、とりわけ若く美しい姫君は、理想化自己対象としての機能を――つまり崇拝や憧憬の対象としての機能を――しばしば提供してくれていた。これは、何もオタク界隈に限った話ではなく、「萌え」が定式化する1990年代以前にもみられたことではある。

 しかし考えてみて欲しい。なぜ、男性オタクの理想化自己対象が「姫」でなければならないのか?

 小さな女の子が、お姫様やプリキュアを理想化自己対象にするというのは分かりやすい。だが、いい歳のオタク男性までもが、姫を理想化するというのはどうなのか。勇敢な少年や王子様のほうを理想化したって良いのではないのか?「どうして男性キャラクターの王子ではなく、女性キャラクターの姫が選ばれるようになってきたのか」――次に述べる戦闘美少女もそうだが、1970年代以前であれば男性キャラクターが引き受けていたであろう理想の機能を、1990年代後半~2010年代前半のオタク界隈において美少女キャラクター達が担っていた現象には、それなり同世代の社会病理が反映されているのだろうし、着眼の価値もあるだろう。

 姫属性の代表的なキャラクター
 ナウシカ(風の谷のナウシカ)1984年
 アルクェイド(月姫)2000年
 アンリエッタ(ゼロの使い魔)2004年


 【戦闘美少女(属性)】
 美少女キャラクターの理想化自己対象としての役割を一番ストレートに示しているのは、オタク界隈に無数に存在する“戦闘美少女”達だろう。この“戦闘美少女”という言葉は、精神科医の斉藤環Dr.が『戦闘美少女の精神分析』のなかで取り上げた言葉としても知られている。さておき、このウェブサイトでは「戦闘を含めた危険な場面に飛び込んで活躍する美少女キャラクター全般」を戦闘美少女(属性)とみなすことにする。

  “最前線で獅子奮迅の働きをみせる美少女”というキャラクターの造型が、かつては全く無かったかというと必ずしもそうではない。けれども、男性向けの、とりわけオタク向けのキャラクターとして本格的に増加し始めたのは1980年代に入ってからである。

 戦争モノや戦闘モノのアニメで矢面に立って勇敢に戦うのは、1980年代以前であれば、まず少年キャラ・青年キャラと相場が決まっていた。ところが『機動戦士Zガンダム』『美少女戦士セーラームーン』あたりの時代になってくると美少女キャラクターが戦場を疾駆する作品が男性オタクに消費されはじめ、1995年の『新世紀エヴァンゲリオン』以降になってくると、「元気も勇気も乏しい男性主人公の代わりに勇敢に戦う美少女」という構図はまったく珍しくなくっていく。

 以後、ウジウジと悩むばかりで理想化自己対象としての役割を放擲したような男性主人公達とは対照的な、凛々しく勇敢でかわいい※1美少女キャラクター達はますます元気いっぱいに、理想化自己対象としての役割を引き受けている。

 ※1“美しい”というよりむしろ“かわいい”

 それでいて、こうした戦闘美少女達は鏡映自己対象としての機能を放棄せずに保っている(=鏡映自己対象としての機能を兼務している)。つまり、シャナやセイバーといった00年代の戦闘美少女達は、1980年代のアニメヒーローな少年~青年達の単なる代用品ではなく、鏡映自己対象/理想化自己対象の二経路で自己愛を充たせるキャラクターとして仕上がっている。1980年代以前の男性向けのアニメ/マンガでは、理想化自己対象を男性キャラが引き受け、鏡映自己対象を女性キャラが引き受けるような、性別による心理学的機能分担がみられていた。しかし、そういった性別による機能分担は必須ではなくなってきている。

 ただし、2010年代に入ってからは、元気や勇気を前面に押し立てた男性主人公が復活しつつある気配があり、00年代ほど戦闘美少女が優勢ではなくなりつつある。今後、衰退していくのか、それとも男性主人公と共存していくのか、動向を見守っていきたいと思う。

 戦闘美少女の代表的なキャラクター :
 シャナ(灼眼のシャナ)2002年
 セイバー(Fate/stay night)2004年
 暁美 ほむら(魔法少女 まどか☆マギカ)2011年

 
 【委員長属性】
 委員長属性の美少女キャラクター達は、必ずしもメジャーな「萌え」属性ではないにも関わらず、不思議な理想化自己対象として機能し続けている。実際の役職は○○委員会の委員長だけではなく、生徒会長やクラス室長などを含めた、[生徒の校内自治を司る役職に就いている美少女キャラクター]で、[理想化しやすい振る舞いや描写がされているもの]がこの属性に該当する。

 この属性に該当する殆どの美少女キャラクターは、単にかわいいだけでなく、校内の秩序を守る為に活躍したり、強いリーダーシップを発揮したり、献身的な取り組みをみせたりする。暴力的・強権的な振る舞いを辞さないキャラクターも珍しくない。しかしそのような場合にも、戦闘美少女と同様、どこかしらかわいらしさやあどけなさを残しており、鏡映自己対象として萌えやすい振る舞いを含んでいることが多い。委員長属性の美少女キャラクター達もまた、単なる男性生徒会長の代役ではない(自己愛を充たすうえで)兼務的役割を引き受けている。

 余談だが、この属性に関して興味深いのは、“現実の校内自治との著しいギャップ”である。近年、特に公立中学校や高校においては生徒の校内自治はかなり形骸化しているにも関わらず、現実とは乖離した、パワフルで理想的な委員長・生徒会長のイメージが受け入れられ、消費されている、ということだ。
 
 委員長属性の代表的なキャラクター
 水野友美(同級生2)1995年
 坂上智代(CLANNAD)2004年
 狩野すみれ(とらドラ!)2006年

 【巫女属性】
 巫女、シスター、聖女、天使、女神といった役職は、宗教的な聖性や超越性も絡んで、もともと理想化自己対象としての機能を引き受けやすい役職だったと推定される。このことを裏付けるかのように「萌え属性」としての巫女属性は永遠の定番の一つであり、神秘的な能力・超人的な献身性・不可侵の純潔 といったものを消費者に提示することで、理想化自己対象としておよそ人間離れしたポテンシャルを獲得している。生身の母親や恋人では決して引き受けることのできないような、自己愛の成熟が停滞している人でも十分に理想を仮託できるような水準の自己対象としてのイメージを膨らませるのに適している。

   人間には引き受け困難なことでも、神の御使いならば引き受けられる」というわけだ。  巫女属性やその眷属に相当する美少女キャラクター達は、かつての信仰のアイコンが「萌え属性」を介したイメージ消費の文化と結託して蘇った姿であり、21世紀風の、自己愛の守護神の姿でもある。巫女や天使達は何度でも蘇るのだろう。願望と想像力を膨らませるための骨組みとして。

 巫女属性の代表的なキャラクター

 ベルダンディ(ああっ女神さまっ)1988年
 神奈備命(Air)2000年
 博麗霊夢(東方Project)windows版は2002年~


 以上、「萌え属性」のなかでも理想化自己対象として自己愛を充たすのに適しているものを幾つか紹介してみた。1980年代までなら男性主人公が引き受けていたであろう理想化自己対象としての機能が、男性キャラクターではなくかわいらしい美少女キャラクター達に移行しているということ・しかも鏡映自己対象としての機能を掛け持ちしたような、複数系統の自己愛充当機能を美少女キャラクター達が獲得していることが、とりわけ興味深い。戦闘美少女などに「萌え」ている限りは、別に男性主人公が強かろうが弱かろうがどうでも良いことだし、別にいなくったって構わない。とりわけオタク男性の場合、次に紹介する双子自己対象としての機能も含めて、「同性の主人公でなければ自己愛を充当できない成分など存在しない」のだから。


 →続き(9.双子自己対象として自己愛を充たすのに適した「萌え属性」)を読む


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