6.未熟な自己愛の処世術(1)垂直分裂

 前のテキストで触れたように、成熟した自己愛の人であれば、間近な人間関係のなかでも自己対象を見つけやすく、若干の失望や欠点を含んだ相手を介してであっても、概ね持続的に自己愛を充たしやすい。対して、自己愛が幼児レベルのままの人は、(幼児が両親に求めるぐらいの)高い要求水準をクリアするような相手でなければ自己対象として体験しづらく、自己愛を安定的に充たすのに四苦八苦しやすい。ひいては、そのぶんメンタルヘルスの維持も難しくなりやすい。

 このため、自己愛の成熟が十分ではない人達は、どうにかメンタルヘルスを維持するために特徴的な処世術を展開する。それが、今回紹介する(1)垂直分裂と、次回紹介する(2)水平分裂という処世術(にして防衛機制)である。
 

 【(1)垂直分裂ポジション】

 一つめの処世術は、“尊大で誇大な態度をとり、自分がさも偉いような自意識を維持し、高い要求水準をクリアしている自己対象だけを受け入れて、そうでない相手は眼中に入れないか見下すスタイル”だ。この適応スタイルは、コフートの著書のなかでは「垂直分裂」と呼ばれている。

 「垂直分裂」のスタイルを採っている人は、(彼自身の)高い要求水準に適うようなレベルで自己愛を充たしてくれる相手でなければ、眼中に入れようとしない。それどころか意識から突っぱねてしまう。よしんば意識したとしても、一方的に見下すか軽蔑する。こういうスタイルを採用している限り、自己愛を充たしてくれる対象だけがその人物の意識・視野に入り、そうでない対象は意識されないか、せいぜい見下しや軽蔑の対象にしかならない。※1

 ※1ちなみに、見下しや軽蔑をすると、相手を鏡映的自己対象として強制的に利用することもついでに可能になる。一方的に見下すことで、自分の凄さや偉さや格の違いを確認するための対象物として相手を利用できるようになるからだ。このため、自己対象をどこにもみつけることが出来ないような気の毒な人達のなかには、傍目には滑稽で現実検討識を疑うほど様々な人を見下したり軽蔑したりすることで、自分自身の誇大な自意識を守りつつ辛うじて自己愛を充たしている人を見かける 。ただしこうした現象は、かなり自己愛が未熟な人だけでなく、中二病のように、思春期の主として前半に一過性に出現することもあるので、背景の鑑別は必要である。
 
  彼/彼女らは、“高い要求水準をクリアしている自己対象だけを相手にし、そうでない人間は無視するか見下す”ので、「自分自身を賞賛するイエスマンか著名人や有名人ばかり相手にしようとし、そうでない人間を見下しまくる人間」という外観を呈しやすい。そういう意味では、「垂直分裂」という身振りは、世間でいわれるナルシストの振る舞いとだいたい一致する。

 尊大な態度・実際以上に誇大な自己イメージへの期待感・高すぎる理想を引き受けてくれる対象以外への敬意や礼節の欠如・思った通りに自分を認めてくれない相手への無視や軽蔑、といった特徴を強く呈していれば呈しているほど、この「垂直分裂」に合致している可能性が高く、自己愛の成熟度合いが低いと推定して良いだろう。

 このような「垂直分裂」の心理的メリットは、自己愛の成熟度が低い人であっても、「俺の自己愛が充たされなくて深く傷ついたぞー!」と失望・落胆してしまうリスクは最小化できることにある。なおかつ、その高い要求水準に適った自己対象からは自己愛を充たし、無視や軽蔑の対象をも鏡映自己対象として利用できるのだから、これはこれで合理的な処世術といわざるを得ない。高い要求水準を自己愛を充たすチャンスを残しつつ、失望・落胆のリスクを防御する、攻防一体の処世スタイルとも言える。

 しかし、尊大で誇大な振る舞いに終始していれば、いつの間にか多くの人に恨まれていたり、気付かぬうちに機会を逸してしまったりすることは避けられない。有名人や著名人だけを相手にテカテカして、それ以外の人物には敬意をろくに払わない態度も、鼻につきやすいことだろう。だから一般に、「垂直分裂」は、イヤなやつだと思われやすい、友達の出来にくい処世術と言える。くわえて、他人を見下す頻度が多いのもあって、誰かに自分自身の欠点や弱点を指摘されてもなかなか認められず、自分とは異なる意見を持った存在と共存共栄したり、互角の実力を持つ者と切磋琢磨することも難しい。自分より劣ったイエスマン以外を遠ざけるような、貧困な人間関係に陥りやすいのも、「垂直分裂」という処世術の欠点だ。

 このような歪な処世スタイルを貫いても困らないのは、稀有の才能を持ち、若いうちから著名人として認められ、尊大で誇大な振る舞いに見合った才能やアウトプットを維持できるような、“この人ならナルシストでもしようがないよね”というコンセンサスが自然形成されるような、ごく一握りの人間だけだ。もっと穏当に、自分の得意分野でだけ「垂直分裂」のスタイルを採る人の場合でも、自分の得意分野のなかで交友関係を広げたり弱点を省みたりするには不向きで、嫌われやすく、恨まれやすく、気付かぬうちにチャンスを逃してしまいやすい。

 [自己愛の傷つきを避けながら自己愛を充たす]という命題と、[社会適応や人間関係の可能性を広く保つ]という命題は、しばしば矛盾することがあるが、「垂直防衛」という処世術はまさにその典型だ。メンタルヘルスを保ちやすいというメリットと引替えに、幅広い社会適応や、人間関係を深めていくチャンスを逃しやすいというスタイルなので、避けられるものなら避けたほうが望ましい。

 とはいえ、処世スタイルが「垂直分裂」になっていく人には、相応の背景――未熟で要求水準の高い自己愛、という背景――があるわけで、歪な適応スタイルとはいえ、そう簡単には捨てられない。むしろ多くの場合、「垂直分裂」は当人のメンタルヘルスを保つうえでやむなく必要とされている処世術であることのほうが多い。 

 →続き(7.未熟な自己愛の処世術(2)水平分裂)を読む


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