もし、(うつ病で)メンタルヘルスを損ねてしまったら
なかには、コミュニケーションの周回遅れ云々以前に、働き過ぎ・ストレスのかかりすぎ等の理由で、長期的なコミュニケーションどころか今を凌ぐので精一杯という人もいるかもしれません。または、既にメンタルヘルスを損ねてしまって、そちらを治すのに手一杯な人もいるでしょう。メンタルヘルスが危機に瀕している人にとって、『ロスジェネ心理学 第六章』に書いてあることの大半は今すぐ意識できるものではないと思いますし、無理をおしてやろうとすれば、心身のバランスを一層損ねてしまうかもしれません。さきにも述べましたが、本書の内容は心身のホメオスタシス※1がそこそこ保たれている状態が前提で、精神科/心療内科を受診している人・今にも受診しそうな人には適していないと思います。
※1ホメオスタシスHomeostasis:環境や状況が揺れ動いてもコンディションが一定に保たれている状態、およびコンディションを一定に保とうとする機能や性質をホメオスタシスと呼びます。例えば、四季を通して人体の体温や血圧が一定程度に保たれ、人体の機能も一定レベルに維持されている有様は、ホメオスタシスという言葉に当てはまります。本文中の“心身のホメオスタシス”とは、多少のストレスや生活リズムの動揺があっても、精神機能や身体機能が低下することなく一定レベルで保たれているような状態・機能を想定しています。対して、うつ病の患者さんなどは、精神機能や身体機能が普段よりも低下し元に戻らなくなっているわけで、心身のホメオスタシスが維持できなくなっている、と言えます。
ただ、5年10年単位で自分のことを考えていくにあたって、メンタルヘルスを損ねるという事態は、「メンタルヘルス損ねた」→「人生終わり」的に捉える以外の意義があるように思うので、少しだけここで触れておこうと思います。
うつ病であれ他の疾患であれ、メンタルヘルスを損ねるという体験自体は辛いものですし、ならないに越したことはありません。睡眠や食欲すら十分に摂れず、今まで苦もなくできていた仕事やレジャーが苦痛になり、集中力も持続力も欠いてしまうようなコンディションに好んでなりたい人はいないと思います。
拙著第一章でも触れましたが、現代の日本は精神科/心療内科への敷居が低くなり、割と誰でも受診できるようにはなりました。とはいえ、うつ病をはじめとする精神疾患への罹患は、専らネガティブな意味合いで捉えられていることが多いように思います。なかには、「人生の終わり」的なことを仰る患者さんもいまだにいますし、そうでなくても、単なる人生の停滞・障害という風にしか捉えない人が多いかと思います。
しかし見方を変えてみれば、「メンタルヘルスを損ねてしまう」という事態は、現状のライフスタイルのままでは自分の身体なり神経なりが保たないところまで来た、という自分自身からのサインだと思うのです。つまり、頭では「俺の生き方を変えるなんてイヤだ。このライフスタイルで生きるしかないんだ」と理性が命じていても、「今のライフスタイルのままで自分を酷使し続けちゃうと、神経が焼き切れるか、身体がおかしくなるかしちゃいますよ!」と身体側が抗議しているといいますか。こんな具合に、うつ病のなかには、日頃、自分自身にこき使われてヘロヘロになっている身体や神経が、待遇改善を求めているようにみえるものがあります。
その一方で、世の中には、自分自身の身体の限界がメンタルヘルスの破綻という形ではなく、もっと恐ろしい形をとって現れる人もいます。例えば心筋梗塞や脳梗塞のような形で限界が訪れた人は、身体的なハンディを蒙るリスクを負いますし、下手をすればすぐ死んでしまいます。もちろんメンタルヘルスの疾患にも自殺のようなリスクはありますが、ある日突然、身体機能や命を持っていってしまう病気に比べれば時間的猶予があるほうだと思います。
なにより、メンタルヘルスを損ねるということ・それを治していくということは、それなり時間がかかるぶん、自分自身をとりまく現在の環境・身体的能力・ライフスタイルといったものを見直す機会ともなり得ます。もちろんメンタルヘルスを損ねた以上、第一段階としては病状の回復をめざすべきですが、少し病状が落ち着いてきたら、心身を損ねるに至った背景を点検し、今の自分自身に出来ること・これからの自分自身にあわせたライフスタイルはどんなものなのかを考え直し、今後はメンタルヘルスを損ねないで済むような新しい生き方を模索していくのが望ましいと思います。
例えば、40歳になっても若い頃と同じ活動量で頑張ろうとしてきた挙げ句にうつ病に至った人や、経営者として活躍していたけれども部下に仕事を任せることを怠ってきた人※2のうつ病などは、仮に今うつ病にならなかったとしても、いつかどこかで、何らかの形でホメオスタシスが破綻していただろうと思われます。その際、積もりに積もった疲弊が心筋梗塞や脳梗塞のような形をとれば恐ろしいですし、メンタルヘルスの破綻という形を取る場合も、もっと重い病状に至ってしまうかもしれません。
※2このタイプの、部下に仕事を任せられない人は、単に仕事がいつまでも自分自身に集まるだけでなく、部下が重要な仕事を覚えられないという点において、人材育成面でもアキレス腱を持っていたりします。部下として、あるいは個人としては優秀に働けるタイプですが、管理職的な立場に回る頃の年齢になると、そのアキレス腱が如実に現れてきます。
以上のような考え方で見るなら、今、うつ病になってしまったことが、長い目で見ればまだマシなダメージだったような人が、実は心療内科の待合室にはそれなり混じっていると思うのです。そして、うつ病を転機として、次のライフステージが開けてくるような、そういう患者さんの姿も私は幾度も見てきました。
うつ病に限らず、昔、精神科の敷居が高かった頃は、非常に重症になってしまってから受診する人が少なくありませんでしたが、最近は重症化する前に受診する人が増えてきました。そうやって軽症のうちにに受診した人は、しっかり治療や療養を行ったうえで、この機に生活環境や価値観などを軌道修正して、五年先・十年先の自分自身が破綻しないような、新しいライフスタイルを構築していただければと思います。 ときには治らないリスクさえ伴ったうつ病は、やはり怖い病気には違い有りません。しかし長期的に見れば、未来の自分自身が壊れてしまわないようにするための、人生再設計の契機という「怪我の功名」になる可能性はあります。おかしな言い回しに聞こえるかもしれませんが、どうせうつ病で(!?)精神科/心療内科を受診する羽目になったからには、この機に、将来の自分が少しでも生きやすいように色んなことを見直してみるのはアリだと思います。その際、精神科医や臨床心理士との診療面接や、ときには認知行動療法のような枠組みが、幾らかのお手伝いを出来ることもあるかもしれません。
補足:この段落で書いた諸々は、当人自身の体質的・認知的・パーソナリティ的な弱点が病因としてそれほど大きなウエイトを占めていない、専ら疲労やストレスが集中するようなライフスタイルや環境に因るところの大きなうつ病や、適応障害の人にはかなり高い確率で当てはまります。そのような人の場合、ライフスタイルの見直しをしないまま元の生活を続ければ、いずれは症状がぶり返してしまうリスクが高いと推定されるので、どうあれ、ライフスタイルの見直しは必須だと思います。ただ、ここに書いたことがメンタルヘルスを損ねて受診に至る人のすべてに当てはまるかというと、そうでもありません。特に、生物学的/体質的な次元の問題を多く含む精神疾患の場合には、事情が異なることが多いでしょう。もし、精神科/心療内科を受診するようになった人が本段落について考えてみる際には、主治医のドクターに「私の病気って、環境やライフスタイルによるウエイトが大きいんでしょうか」と確かめていただいたほうが良いと思います。
※1ホメオスタシスHomeostasis:環境や状況が揺れ動いてもコンディションが一定に保たれている状態、およびコンディションを一定に保とうとする機能や性質をホメオスタシスと呼びます。例えば、四季を通して人体の体温や血圧が一定程度に保たれ、人体の機能も一定レベルに維持されている有様は、ホメオスタシスという言葉に当てはまります。本文中の“心身のホメオスタシス”とは、多少のストレスや生活リズムの動揺があっても、精神機能や身体機能が低下することなく一定レベルで保たれているような状態・機能を想定しています。対して、うつ病の患者さんなどは、精神機能や身体機能が普段よりも低下し元に戻らなくなっているわけで、心身のホメオスタシスが維持できなくなっている、と言えます。
ただ、5年10年単位で自分のことを考えていくにあたって、メンタルヘルスを損ねるという事態は、「メンタルヘルス損ねた」→「人生終わり」的に捉える以外の意義があるように思うので、少しだけここで触れておこうと思います。
うつ病であれ他の疾患であれ、メンタルヘルスを損ねるという体験自体は辛いものですし、ならないに越したことはありません。睡眠や食欲すら十分に摂れず、今まで苦もなくできていた仕事やレジャーが苦痛になり、集中力も持続力も欠いてしまうようなコンディションに好んでなりたい人はいないと思います。
拙著第一章でも触れましたが、現代の日本は精神科/心療内科への敷居が低くなり、割と誰でも受診できるようにはなりました。とはいえ、うつ病をはじめとする精神疾患への罹患は、専らネガティブな意味合いで捉えられていることが多いように思います。なかには、「人生の終わり」的なことを仰る患者さんもいまだにいますし、そうでなくても、単なる人生の停滞・障害という風にしか捉えない人が多いかと思います。
しかし見方を変えてみれば、「メンタルヘルスを損ねてしまう」という事態は、現状のライフスタイルのままでは自分の身体なり神経なりが保たないところまで来た、という自分自身からのサインだと思うのです。つまり、頭では「俺の生き方を変えるなんてイヤだ。このライフスタイルで生きるしかないんだ」と理性が命じていても、「今のライフスタイルのままで自分を酷使し続けちゃうと、神経が焼き切れるか、身体がおかしくなるかしちゃいますよ!」と身体側が抗議しているといいますか。こんな具合に、うつ病のなかには、日頃、自分自身にこき使われてヘロヘロになっている身体や神経が、待遇改善を求めているようにみえるものがあります。
その一方で、世の中には、自分自身の身体の限界がメンタルヘルスの破綻という形ではなく、もっと恐ろしい形をとって現れる人もいます。例えば心筋梗塞や脳梗塞のような形で限界が訪れた人は、身体的なハンディを蒙るリスクを負いますし、下手をすればすぐ死んでしまいます。もちろんメンタルヘルスの疾患にも自殺のようなリスクはありますが、ある日突然、身体機能や命を持っていってしまう病気に比べれば時間的猶予があるほうだと思います。
なにより、メンタルヘルスを損ねるということ・それを治していくということは、それなり時間がかかるぶん、自分自身をとりまく現在の環境・身体的能力・ライフスタイルといったものを見直す機会ともなり得ます。もちろんメンタルヘルスを損ねた以上、第一段階としては病状の回復をめざすべきですが、少し病状が落ち着いてきたら、心身を損ねるに至った背景を点検し、今の自分自身に出来ること・これからの自分自身にあわせたライフスタイルはどんなものなのかを考え直し、今後はメンタルヘルスを損ねないで済むような新しい生き方を模索していくのが望ましいと思います。
例えば、40歳になっても若い頃と同じ活動量で頑張ろうとしてきた挙げ句にうつ病に至った人や、経営者として活躍していたけれども部下に仕事を任せることを怠ってきた人※2のうつ病などは、仮に今うつ病にならなかったとしても、いつかどこかで、何らかの形でホメオスタシスが破綻していただろうと思われます。その際、積もりに積もった疲弊が心筋梗塞や脳梗塞のような形をとれば恐ろしいですし、メンタルヘルスの破綻という形を取る場合も、もっと重い病状に至ってしまうかもしれません。
※2このタイプの、部下に仕事を任せられない人は、単に仕事がいつまでも自分自身に集まるだけでなく、部下が重要な仕事を覚えられないという点において、人材育成面でもアキレス腱を持っていたりします。部下として、あるいは個人としては優秀に働けるタイプですが、管理職的な立場に回る頃の年齢になると、そのアキレス腱が如実に現れてきます。
以上のような考え方で見るなら、今、うつ病になってしまったことが、長い目で見ればまだマシなダメージだったような人が、実は心療内科の待合室にはそれなり混じっていると思うのです。そして、うつ病を転機として、次のライフステージが開けてくるような、そういう患者さんの姿も私は幾度も見てきました。
うつ病に限らず、昔、精神科の敷居が高かった頃は、非常に重症になってしまってから受診する人が少なくありませんでしたが、最近は重症化する前に受診する人が増えてきました。そうやって軽症のうちにに受診した人は、しっかり治療や療養を行ったうえで、この機に生活環境や価値観などを軌道修正して、五年先・十年先の自分自身が破綻しないような、新しいライフスタイルを構築していただければと思います。 ときには治らないリスクさえ伴ったうつ病は、やはり怖い病気には違い有りません。しかし長期的に見れば、未来の自分自身が壊れてしまわないようにするための、人生再設計の契機という「怪我の功名」になる可能性はあります。おかしな言い回しに聞こえるかもしれませんが、どうせうつ病で(!?)精神科/心療内科を受診する羽目になったからには、この機に、将来の自分が少しでも生きやすいように色んなことを見直してみるのはアリだと思います。その際、精神科医や臨床心理士との診療面接や、ときには認知行動療法のような枠組みが、幾らかのお手伝いを出来ることもあるかもしれません。
補足:この段落で書いた諸々は、当人自身の体質的・認知的・パーソナリティ的な弱点が病因としてそれほど大きなウエイトを占めていない、専ら疲労やストレスが集中するようなライフスタイルや環境に因るところの大きなうつ病や、適応障害の人にはかなり高い確率で当てはまります。そのような人の場合、ライフスタイルの見直しをしないまま元の生活を続ければ、いずれは症状がぶり返してしまうリスクが高いと推定されるので、どうあれ、ライフスタイルの見直しは必須だと思います。ただ、ここに書いたことがメンタルヘルスを損ねて受診に至る人のすべてに当てはまるかというと、そうでもありません。特に、生物学的/体質的な次元の問題を多く含む精神疾患の場合には、事情が異なることが多いでしょう。もし、精神科/心療内科を受診するようになった人が本段落について考えてみる際には、主治医のドクターに「私の病気って、環境やライフスタイルによるウエイトが大きいんでしょうか」と確かめていただいたほうが良いと思います。