【旅の記録 菩提の道場(愛媛県) その4】
 第五十四番延命寺〜第五十八番仙遊寺までの、ただの感想&写真だけです。

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→第五十六番泰山寺   →第五十七番栄福寺
→第五十八番仙遊寺














第五十七番 府頭山 無量寿院  栄福寺
本尊:阿弥陀如来御真言:おん あみりた ていせい から うん
御詠歌:この世には 弓矢を守る 八幡なり
     来世は人を 救う弥陀仏

                
       栄福寺の本堂も、泰山寺の本堂によく似たつくりになっている。

                
       霊場の背後に竹林がある風景は、いつ見ても美しい。お気に入りです。

                
       駐車場から本堂に向かう道の途中の風景桜が咲き始めている。
  ちなみにこの霊場の駐車場は有料。お金を入れる缶があるので、ちゃんと入れましょう。

                
         この地図を拡大して頂ければ、「有料」の看板が見えるはず。


 たんぼと畑に囲まれた、小さな田舎田舎した集落の奥に栄福時は建っている。
 
背後に竹林を背負ったお寺は、桜がピンクの花を付け始める季節を迎えていた。栄福寺でも
お遍路さんは無人。というか参拝者自体が誰もいない。妹ゲロ氏とともに、ただ静かにお詣り
をする。お寺以上に静かなのは納経所。時計のチクタクという音がやけに大きく聞こえた。

 このお寺の近所にはイヌを飼っている人が沢山いたが、どれも立派な雑種さまばかりだ。
ころころと太った、きつね色の雑種をたくさん見かける。こんな田舎には、こーぎーやちわわよりも
雑種わんこがよく似合う。いや、田舎は雑種じゃなきゃ駄目ってわけじゃないけれど。

 お寺そのものよりも印象に残ったのは、次の仙遊寺までの道中だ。お遍路マップを参考に
進むと、畑のど真ん中の、信じられないぐらい田舎の道に突っ込むことになっている。半信半疑で
お遍路マップに従ったところ、「→58」とだけペンキで殴り書きされた看板をそこここで発見。
不安を抱きながら暫くこの看板に従って進むと、58番に通じる大きな農道の、立派な案内看板に
出くわしてホッとした。いかにもお遍路さんらしい道路だ。車遍路といえど、油断は禁物!




第五十八番 作例山 千光院  仙遊寺
本尊:千手観音菩薩御真言:おん ばざら たらま きりく
御詠歌:立ち寄りて 作礼の堂に やすみつつ
     六字を唱え 経を読むべし

                
 高台に建ったお寺なので、景色は抜群。児島−坂出ルートの橋やタンカーも見える。

                
     久しぶりに大師様とご対面する。大師堂だけでなく、本堂もとても綺麗だった。


                
   五つのお地蔵様と、咲いたばかりの桜。お地蔵様にはみかんが必ず供えられていた。


                
     本堂の外観。本堂の中は、大師堂と同様、とても煌びやかである。

                
  大師様には美しい花が供えられている。春の彼岸にお遍路というのも、いいものだ。


                
  水子地蔵様とおぼしき、たくさんのお地蔵様。写真を拡大して頂ければわかるが、
        ものすごく小さなお地蔵様がいっぱい並べられている。


 延命寺からはずっと平地の寺だが、流石仙人の遊ぶ寺、久しぶりの山奥の霊場だった。

 駐車場からは、今治市や瀬戸内海、遠くには本州すら霞んで見える。四国本州連絡橋も
写真には写っている。お寺に向かう坂道の途中、道ばたでお弁当を食べているおじいさん二人
組を発見する。格好から察するに、お遍路さんではないようだ。地元で林業か農業をやっている
のだろうか?

 のっけから、凄まじい数のお地蔵様がお出迎えしてくれる。明らかに水子地蔵さまとわかる
ものだけでなく、恐ろしく古そうな壊れかけのお地蔵様、などなど。寺に至る道中や境内のお地蔵
様には、必ずと言っていいほど蜜柑や花が供えられていた。ちょうど訪れた時期が彼岸だった
からというのもあるだろうが、ほほえましい光景だ。どんなに小さくて古いお地蔵様にも、必ず
蜜柑が備えられていた。お遍路さんの道中のお地蔵様達は、少なくとも誰かがちゃんと世話を
している…と信じることにした。
煌びやかな本堂や大師堂もさることながら、素朴だが親近感を感じさせる風景とお地蔵様が
印象的なお寺だった。




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