0.まず、辞書に載っている「自己愛」の定義を確認してみよう

 コフートがつくりあげた自己心理学は、人間の自己愛を突き詰めて考えていった精神分析の一流派で、極端に病的ではない水準の成熟した自己愛〜未熟な自己愛までを手広く取り扱うのに適しているとさきに述べた
 
 では、自己愛とは何なのか?特に、『自己心理学』がいう自己愛の定義はどういうものなのか?そこらへんを説明する前に、まず、国語辞典に書いてある自己愛の定義を確認しておこう。

 『大辞林』によれば、
自己愛narcissismとは、
(1)自分の容姿に陶酔し、自分自身を性愛の対象にしようとする傾向。ギリシャ神話のナルキッソスにちなむ精神分析用語。(2)うぬぼれ。自己陶酔。
 となっている。

 この定義を読むと、「自分自身に自惚れるのは自己愛」「自己陶酔するのも自己愛」と理解されるだろうし、世間一般で想像される“ナルシスト”のイメージとだいたい同じだろう。イメージ的には、タレントのGacktさんが演じていた役回りがそれに相当するだろうか。
 
 けれども、Gacktさんがタレントイメージを維持できなかったことが暗に示しているように、そんなナルシストを続けるのは簡単ではないので、「辞書に書いてあるとおりの自己愛」を地で行くようなナルシストに遭遇する機会は、それほど多くないと思う。

 対して、『自己心理学』が自己愛と呼んでいるものはもっと範囲が広い。自己愛の充たし方も、けばけばしいナルシストの自己陶酔だけに限定するのでなく、私達が日常的にやっている挨拶や、先輩後輩の信頼関係のなかでも自己愛がマイルドに充たされ合っている、という風に考える。そして絵に描いたようなナルシストや『自己愛パーソナリティ障害』に相当するような極端な人でなくとも、ごく穏やかなレベルでは誰もが自己愛を必要としているし、人間関係のなかで充たし合っているよね、という風に考える。
 
 なら、私達はどこでどんな風に自己愛を充たしあいながら生きているのか?ここからは、「誰もが充たし合っている自己愛」の充たし方三種類について、順を追って説明してみようと思う。

 →続き(1.他人を映し鏡として自己愛を充たす)を読む


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