・1.「萌え前夜」


 オタク界隈のスラング「萌え」について紹介していく前に、「萌え」という語彙が出てくる直前、1980年代後半〜90年代初頭についても簡単に触れておく。
 
 「萌え」をパソコン通信などで実際に見かけるようになったのは1990年〜94年頃からだが、「萌え」が台頭してくる兆しは自体は、それ以前から界隈に漂っていた。オタクがまだ平仮名で“おたく”と表現されていた80年代は、21世紀のようにあざとくオタク消費者を狙い撃ちにしたコンテンツは整備されていなかったけれども、当時のおたく達は、現在の「萌え」にかなり近い形でアニメやゲームの美少女キャラクターを消費していた。

らんま1/2 TVテーマソング [ (アニメーション) ]

 例えば『機動戦士ガンダム』シリーズや“『うる星やつら』『らんま1/2』のような高橋留美子の作品、あるいは『ワルキューレの伝説』のようなゲームなどは、いずれも「萌え」を意識して売り出された作品ではなかった。しかし、そういった作品に登場する幾人かのキャラクター達は、関連商品(ドラマCDやキャラクターグッズ 等)もよく売れ、様々なファンジン(=同人誌)にも引用された。

 こうした美少女キャラクター達は、ただ単に作品(原作)を鑑賞し、その作品の枠内でだけ楽しまれたわけではなかった。おたくとしての度合いが深い者は、関連商品やファンジンを介するような形で“キャラクターにまつわるイメージや空想を各々勝手に膨らませて楽しむ”傾向が強かったように記憶している。そのような趣向に際して人気を博したのは、漫画/アニメ/ゲームいずれの場合も“目の大きな、アニメ絵柄のかわいいキャラクター”であり、劇画タッチやアメコミ風の女性キャラクターが選ばれることは稀だった。80年代の言い回しをするなら、ロリコン風でなければならなかった、のだ。

美少女戦士セーラームーンS [ 三石琴乃 ]

 90年代に入ると、オタクの“かわいい嗜好”は一層明確になっていく。例えば、ハードウェア上の制約を克服し発展しはじめたPCアダルト美少女ゲーム※1 の世界では、当初はそれなり存在していた劇画タッチの作品が淘汰され、「アニメ絵柄で、目の大きな“かわいい”少女」が主流になっていった。アニメの世界でも、『美少女戦士セーラームーン』『魔法騎士レイアース』などといった、目のパッチリした美少女の活躍する作品が(元来のターゲットと目されていた女児だけでなく)男性オタクから支持を集め、90年代に流行した対戦格闘ゲームの分野でも、美少女キャラクター達が人気を博した。

※1現在の、いわゆるギャルゲー・エロゲーの先祖にあたるジャンル。当時はNECのPC-8800シリーズやPC-9800シリーズで特に発展していた

 当時、男性オタクに人気を博した美少女キャラクター達を振り返ると、実在のアイドルタレントはもとより、劇画調漫画や少女漫画などと比べても少ない線で構成された、図像としてはシンプルでシンボリックなものが多かったことに気付く  。その一方で、こうしたキャラクター達は「設定」「背後資料」といったパラメータ的情報が過剰なまでに与えられていることが多かった。

 このため従来の少女漫画などの登場人物と比べると、90年代のオタクを惹きつけた美少女キャラクター達、特にゲームやアニメに登場するキャラクター達は、ただ図像がシンプルなだけでなく、キャラクターの心情描写や振る舞いの描写も簡素なものが多く、じっくり鑑賞するには向いていなかった。そのかわり、シンプルな図像に過剰な設定情報が与えられているお陰で、原作中では記述されていない部分にオタク個々人の自由な想像力を滑り込ませる余地は大きく、原作のキャラクターを“骨組み”として、消費者個々人が想像力や願望を膨らませて肉付けして楽しむにはおあつらえ向きだった。つまり、80年代以前の精緻な登場人物達や、実写のアイドルなどに比べると、同人誌やMADのような二次創作や、脳内補完に適したキャラクター達だった、と言える。

 1990年代の段階で、美少女キャラクターという“骨組み”を素材として、個々人が想像力や願望によって自由にカスタマイズした二次創作や脳内補完を消費するという様式が、オタク達に定着しはじめていた、のである。こうした消費様式が(コミケやパソコン通信のような)オタク同士のコミュニティにおいて珍しくなくなっていた頃に、「萌え」という語彙が使われ始めたのであった。

 →つづき 『2.萌えの登場(1990年代前半まで)』を読む


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