【四国八十八カ所巡りとは】

 様々な本やサイトを参照して最大公約数的に書くと、
 四国八十八カ所巡り、四国遍路とは、

 “四国四県に渡ってリング状に存在する八十八の霊場
 (寺院)を巡拝すること。”

  となるようです。

  実際厳密にはどうなのかはわかりませんが、これに当てはまれば、
 徒歩だろうが車だろうがヘリをチャーターしようがOKで、一回の旅で巡拝
 しようが数回に分けて巡拝しようが、その辺りも自由のようです。
 また、動機も宗派も自由で、ただ真摯な心で巡拝するのならそれで
 良いという主旨が感じられます。
 このためか、旅先では老若男女さまざまの人と出会う事になりました。
 それぞれの思いを胸に、巡拝者達は八十八カ所の霊場を旅するのでしょう。


  四国には、真言宗の開祖、弘法大師(空海)にゆかりのある修行場や
 寺院がたくさん存在し、その中でも特に、八十八カ所の寺院を巡拝する
 習慣が室町時代頃から生まれてきたそうです。これが後に“四国遍路”
 または“四国八十八カ所巡り”と呼ばれるようになったもので、江戸時代
 にはちょっとしたブームになったようです。八十八の霊場の中には、
 岬の先端や険しい山の頂上といった、まさに霊場・修行場の名に
 相応しい秘境から、街の真ん中に建っていて近所の人達に親しまれて
 いるお寺まで様々です。空海生誕の地・七十五番善通寺のような、
 巨大な寺院も存在します。それぞれのお寺がそれぞれの雰囲気・カラーを
 持っており、最後の最後まで飽きることがありませんでした。
 また、霊場以外にも沢山のお地蔵様や遍路用看板、いわくつきの名所など
 が点在し、ふとした風景の中にも、しばしば“遍路旅”を実感させてくれます。

  四国を時計回りに一周する四国八十八カ所巡りは、一番霊山寺
 (徳島県)から八十八番大窪寺(香川県)まで、延べ1450kmの旅です。
 山有り、海有り、都会あり、田舎ありの変化に富んだ道中を、白衣や
 菅笠を身につけ、「同行二人」と記された杖を突きながら旅します。
 この杖は弘法大師の分身とされ、「旅は常に弘法大師と道連れ」
 というコンセプトのもと、進んでいきます※1
 四国は「市道・県道・国道」が「死道・険道・酷道」とあだ名されるほど
 道路事情の厳しい場所が多いため、車遍路といえど気が抜けません。
 まして、歩き遍路は凄まじい距離のアップダウンをひたすら歩き続ける
 旅路となるので、相当過酷な試練になることでしょう。
 お年寄り向けのバスツアーでも、駐車場からの長大な階段や参道は、
 足腰の弱い高齢者にとって、ハードで侮れない障害となります。

  とはいえ、豊かな四国の自然と人々との出会い・八十八の霊場・
 自分と向き合う長い長い時間などがミックスされた四国遍路は、
 普通の旅とは随分と違った、特別な経験となるものを含んでいると
 思います。少なくとも、私はそんな風に感じました。
 私は時間の都合もあって車遍路を選択しましたが、それでも沢山の
 感動と苦労を得ることができたと思っています。

  興味や思うところのある方は、是非旅立たれる事をお勧めします。
 期待通りのものはもしかして得られないかもしれませんが、真摯に
 旅をすればきっと何かしら得るものがあるのではないかと思います。
 そして、このページが(他の優れたページほどではないにせよ)
 興味を持たれた方の役に立てば嬉しいです。

 (※宗教的な要素も絡むため、四国遍路は万人に一概にお勧めする
 事は難しいかもしれません。
 ですが、四国は四県ともに顔つきが異なり、食べ物も色々なうえに
 風光明媚な景勝地もいっぱいです。
 ですから、四国遍路でないとしても、四国旅行だけでも十分面白い
 んではないかと思ってます。下手な海外よりも、お勧め!)




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 【※1進んでいきます。】
  この、同行二人というコンセプトは、今回の私の旅に、巨大な影響を
 与え続けました。杖をついて旅をしている限り、弘法大師がいつも
 一緒にいてくれるという気持ちを持つ事が実際に出来ていたと思います。
 結果として、以下のような効果が生まれました。

 ・親切をしてくれた人には、お礼を言おう。
 ・困っている人を見たら、可能な限り助けてあげなきゃ。
 ・駐車場代とかちょろまかしたり、できないぞ。
 ・旅の間は、食べ過ぎ飲み過ぎなんてはしたないなぁ。
 ・馬鹿な事を言ったり、ひがみあったり怒ったりしないようにしなきゃ。

  なお、“四国遍路の間は、会う人は皆大師様の分身だ”というコンセプトも
 あります。このため、腹が立っても怒らないようにし、親切には恩恵を
 感じるようになってました。

  これらコンセプトは、素晴らしいものです‥‥効果的(effective)です。
 まわっている間は、人間に優しくなり、人間から優しくなった気持ちに
 なったように感じました。また、旅先での節制を保つ事も出来ました。
 不出来でだらしのない私も、まさに、御大師様に見張られて守られて
 無事に旅を終える事が出来たのです。

  いっぽうでは、これらの四国遍路コンセプトは、信仰心アップ効果を
 期待された一大カラクリのような気もしますが、そこら辺は、少なくとも
 ここではこれ以上考えないでおこうと思います。
 だって私、お遍路さん好きだし。