自己対象転移 selfobject transference

 自己対象転移という単語の意味を乱暴にまとめると、「小さい頃からロクに甘えたことの無い人が、久しぶりに甘えてみたら無茶苦茶凄い甘え方になった」「尊敬できる人に出会う機会が無かった人が、はじめて尊敬できる人を見つけたらキリストのごとく極端に拝み理想化するようになっちゃった」という出来事。自己愛の成熟には必要。

 これだけでは説明不足のような気がするので、もう少しマシな説明を付け加えてみる。

 「小さい頃に体験する必要があったけれども実際には体験できないまま成長してしまった、体験されざる自己対象体験への欲求が、コミュニケーションの場面や心理療法の場面でふいに現れ出てくるような現象」を、自己対象転移と呼ぶ。幼少期に体験されないまま意識の外に追いやられていたニーズだけあって、自己対象転移の欲求レベルは幼児の要求水準に近いことが多く、年齢標準から考えられるよりハイレベルな自己対象への求め・自己愛の充当の求めになりがち。

:小さい頃からろくに褒められたことの無い人は、いざ褒められたいと思うようになると絶賛に近いものを求めたくなる。また、小さい頃からろくに尊敬の対象を持ったことのない人は、いざ師を尊敬しようと思えば神仏のような理想を求めてしまう。

 このため、実際に出会う自己対象転移は、多くの場合、「蒼古的な自己対象転移」とか「太古的な自己対象転移」と呼ばれるに相応しい。

・自己対象転移の出現、特に蒼古的な自己対象転移は、幼少期の自己対象体験が十分ではなかったことを示唆している。自己対象転移は自己愛パーソナリティ障害に相当するような人においてこそ、観察されやすい。そして自己対象転移の要求水準があまりにハイレベルな場合には、人間関係(または治療者-クライアント関係)が破壊されてしまうこともある。

・ただし、(臨床上は)自己対象転移は面倒くさいだけの邪魔者ではない。自己対象転移が起こらない治療者-クライアント関係(あるいはそのほかの人間関係)というのは、逆に言えば自己対象として治療者があんまり期待されていないか、自己対象としてろくに体験されていないか、どちらかである可能性がとても高い。これでは、変容性内在化もまず起こらないし、クライアントの自己愛の成熟具合には何も影響は与えられないだろう。

・コフートをはじめとする自己心理学の人達は、自己対象転移に相当するようなプロセスは自己愛の成熟に必要、とみている。自己対象転移は、これまで眠っていた“自己対象との一体感を介して自己愛を充たしたい”という求めがようやく現れた状態であり、そこから自己対象体験なり変容性内在化なりを経てはじめて、自己愛の成熟が少しばかり起こる、という理解になる。

・したがって、人間関係が破綻しない程度の自己対象転移は、むしろ自己愛の成熟に至る貴重なステップといえる。クライアントが求める自己対象ニーズと実際の自己対象が示す振る舞いとのギャップは遅かれ早かれ露呈するわけで、治療者を自己対象として体験しているクライアントは、いずれ何らかの落胆や苛立ちに見舞われずにはいられない。しかし、その落胆や苛立ちに見舞われた瞬間にどう切り抜けるのかが、治療者の力量の腕の見せ所、ということになる。この落胆や苛立ちが破綻に至らない範囲で乗り越えられると、自己愛の成熟がちょっと進む。 なお、自己心理学の学者さんのなかには、「落胆や苛立ちを乗り越える」という点より「自己対象転移がとにかくも受け容れられる」という点に重きを置く人もいるようだ。私個人は、「どっちも大事」という見解。

 ※個人的には、自己対象転移をノーコントロールでクライアントに起こすのは危ないことだと思う。あまりにも奔放に自己対象転移を起こしすぎると、クライアントが落胆や苛立ちに見舞われた瞬間を制御しきれず、人間関係が崩壊してしまうリスクが高くなってしまう。自分の力量や経験やクライアントとのコンテキストを踏まえながら、「どうにかなりそうな範囲の自己対象転移」を少しずつ共有して、“雨降って地固まる”つまり変容性内在化の難易度をできるだけ低めにするべく努めるのが穏当だと思う。

 ※まして、「俺様の手にかかれば、どんなにヘビーな自己対象転移でも引き受けて変容性内在化をやってみせるぜ!」とか、かなりキツい病態の人でも同じことをやろうと思ってかかったりとか、そういうの無理です普通…。

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