【自己対象】selfobject

・なんらかの一体感を介して、自己愛を充たしてくれるように体験される対象のことを、自己対象と呼ぶ。自己心理学の用語。

 この言葉で注意しなければならない点は、自己対象という言葉は、素のままの対象そのものを指している言葉ではなく、「本人の主観レベルで体験されているところの対象」となる点、である。

厳密に定義するなら、自己対象は、自己でも対象でもない。それは自己-維持的機能に関する主観的な側面のことであり、自己と対象の関係がこの機能を担っている。対象は、その存在と活動によって、自己と自分らしさselfhoodの体験を歓喜し、維持するのである。 (アーネスト・F・ウルフ 自己心理学入門 より)

 例1:チヤホヤしてくれるホステスを前にのぼせている男性客は、賞賛してくれるホステスとの一体感を介して、自己愛を充たしているように体験しているだろう。この場合、自己対象と呼んでかまわないのは、「チヤホヤしてくれるように体験され、一体感を提供してくれるイメージで体験されるホステス」であり、舞台裏で醒めた顔をして煙草を吸っている素のホステス自身ではない。自己対象として体験されるホステスは、この男性客からみれば“ありのままの俺を褒めてくれる美人”というイメージで体験されているかもしれないが、素のホステス自身がそうであるかは別問題である。

 例2:ある高名で気難しい歌手。その気難しさと自己中心性のために、身近な家族にとって、この歌手は誰の自己愛も充たしてくれそうにない厄介者とみなされている。家族からしてみれば、自己対象として体験される見通しのきわめて低い人物である。けれども歌手の舞台上やメディア上の活躍だけをみていて、その活躍に心酔しているファンにとっては、その歌手は一体感を介して自己愛を充たしてくれる、自己対象として体験される可能性は極めて高い。

 ・コフート自身の著書のなかでも年代の旧いものや、少し古めの解説本などでは[自己-対象]と表記されている場合もある。

 ・“主観レベルで一体感を体験してるイメージ”。主観レベルのイメージのほうを自己対象と呼ぶのであって、実際の素の相手は自己対象ではない。そして自己愛を充たせるか否かは、対象を自己対象が体験できるか否かだけが問われるので、「実際の素の相手をよく理解しているか否か」は実はあまり問われない。もちろん、好き勝手なイメージ先行で人間を自己対象として体験していれば、すぐにイメージと素の人間との乖離に遭遇するだろうから、間近な人間を介して自己愛を充たす場合、自己対象としての体験されるイメージのほうと、実人物との乖離は小さい方向へと収束しやすい(または乖離が小さい人間関係だけが残る)。ただし、メディアを介して自己対象として体験される人物や、二次元キャラクターのような架空のキャラクターが自己対象の場合には、かなりご都合主義なイメージで自己対象を体験できる(=自己愛が充たせる)点が、21世紀の自己愛を考えるにあたっては重要と思われる。

【自己対象の種類について】
  ・自己心理学の用語「自己対象」のなかでは、まず鏡映自己対象と理想化自己対象が最も早くカテゴライズされ、その後、双子自己対象も含めた三つの自己対象がベーシックな自己対象のカテゴリーとみなされている。他にも、弟子さんが色んな自己対象を紹介しているけれども、私個人は、「鏡映」「理想化」「双子」の三種類の組み合わせで、たいていの自己対象はカテゴライズできると思っているし、まず、この三種類を覚えておけばそれでokという気がする。

 →参照:理想化自己対象鏡映自己対象双子自己対象自己対象体験自己対象転移  

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