鏡映自己対象:mirroring selfobject

 自己対象のなかでも、賞賛や承認を介して、自分自身が誇らしさや力強さを感じさせてくれるような対象。

 賞賛や承認のリアクションを介して自己愛や一体感を充たしてくれるタイプの自己対象が鏡映自己対象に該当する。“自分は力に満ち、偉大で素晴らしく、完全である”と思える瞬間や、そこまでいかなくても、光栄や栄誉、いっぱしの人間扱い、などを提供してくれるような対象は、鏡映自己対象と言えるだろう。こうした自己顕示や自己表現に対する賞賛の求めは、子どもから大人に成長するにつれて、よりマイルドで社会化された形式であるよう求められるのが常※1 だが、自己愛の成熟が順調な過半数の人においては、そのような自己愛の社会化要請にも大体ついていける。

 ※1このような傾向は、現代日本においてはかなり強い。例えば現代のアメリカや古代ローマでは、自己顕示に対する風当たりは日本よりも弱い、と考えられる。

 承認・賞賛・適切なリアクション・「私はあなたを気にかけてますよ」というまなざし、といったものを体験させてくれている対象は、鏡映的自己対象と呼んでだいたい差し支えない。幼少期においては、母親がその役割を担うことが多い。

 :褒めてくれる母親、自分のことをいっぱしの人間と認めてくれる仲間、演奏家にとっての観客、ライブハウスの演奏者にとってのファン、など

・なお、鏡映自己対象は、テキストブックによっては鏡対象、という書き方をされていることも多い。このウェブサイトでは、自己対象という言葉を明確に意識するため、必ず鏡映自己対象という表現をするように心がけている。

・かつての日本では、この鏡映自己対象を介して自己愛を充たすよりも、理想化自己対象を介して自己愛を充たす形式のほうが、社会的には好ましい、とみなされてきた。この傾向は20世紀末から緩和されつつあるが、社会のかなり広い範囲に現在でも残っている。

 ※鏡映自己対象は、ナルキッソスの神話で言うなら、水面の鏡の役割を果たす人、ということになる。ギリシア神話のナルキッソスは水面に映った自分の姿をみてウットリしたわけだが、ナルキッソスがウットリするには、自分自身の素晴らしさを映し出してくれる鏡が必要だったし、また鏡があるからこそ、ナルキッソスはウットリしすぎて水に落ちてしまった。鏡映自己対象は、自分自身の素晴らしさを映し出してくれるような対象、という意味で、まさにナルキッソスの鏡に等しい。人が、自分自身の素晴らしさにウットリするには、自分自身の素晴らしさを映し出し確認させてくれるような対象が必ず必要である。21世紀においては、それは生身の人間でなくても別に構わない。キャラクターやガジェットの類が鏡映自己対象としての役割を果たしている類例は幾らでも見つかる。

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