逆依存 counterdependent


 自己心理学の考え方では、人は生涯にわたって自己愛を充たしてくれるような一体感を提供してくれる対象――自己対象――を必要とする。ところが世の中には「一体感なんぞ要らん」「完全な自律と独立は可能だ」と主張する人もいないわけではない。このことについて、自己心理学系の本には以下のような記述がある。

Kohutにしてみれば、完全な独立を追い求めるのは不可能な目標であるだけでなく、正当な自己愛的欲求の否認でもある。そのような人達は、行動において成熟した適応をしているというよりは、「逆依存」の状態にある。完全に自律的な人の見かけの「非自己愛」は、未熟であるが否認された自己愛の隠れた形である。古典的精神分析の目標である患者の完全な自律性は、自己愛の否認を励ます可能性がある。

R.R.リー J.C.マーティン著『自己心理学精神療法――コフート以前からコフート以後へ――』岩崎学術出版社、P147より抜粋

 ※この逆依存に相当する主張を実地でみている限りでは、たいていの場合、鏡映自己対象には依存していなくても理想化自己対象にはドップリ依存していたり、人間は自己対象としていない代わりにコンテンツやイデオロギーを自己対象としていたりすることが多いように感じられる。また、個別の人間関係において「あんたなんかどうでもいいんだよ!」と依存をはね除ける表明が、単なる合理化(いわゆる酸っぱい葡萄)だったり、自己心理学でいう垂直分裂に相当する状態だったりすることも珍しくないように感じられる。どちらにせよ、あらゆる自己対象をまったく必要としない人間というのは原則としては存在しない、という大前提のモデルのほうが、多くの人間の、意固地なまでの振る舞いのパターン予測がしやすいように私には感じられる。

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