・「萌え」の近況と、これからの予測(2012年追記あり)

 こちらの続きです。

 以上、自己対象として機能する萌えキャラクターと、その「萌え属性」について具体例を紹介した。

 「萌え」に供される美少女キャラクターは、90年代こそ鏡映自己対象としてのニュアンスが強かったが、理想化自己対象や双子自己対象としての機能もあわせもつ「萌え属性」が普及するようになって、主要三系統の自己対象すべてとして十分機能するようになった。

 2010年現在、自己愛充当コンテンツとしての「萌え」属性は、制作技術としてほとんど確立している。もちろん、ライトノベル界隈を中心として、新しいキャラクター造型は試され続けているし、“男の娘”のように最近にわかに一般化した「萌え属性」もある。けれども、自己愛充当という観点からみれば出るべきものは出揃っているし、現行のキャラクター造型で不足なエッセンスがあるとは思えない。

 自己愛を充たすための脳内補完イメージの材料としての「萌え」キャラクターは、現状の段階でも十分に洗練されている、と言ってしまって差し支えないだろう。

 では、これから先、「萌え」属性や美少女キャラクターはどうなっていくのか?  一連の締めくくりとして、このテキストでは「萌え」の最近の状況を概括し、そのうえで近未来を想像してみようと思う。


 【「萌え属性」のマイルドな使用】

 既に起こりはじめていることだが、「萌え属性」を明らかに意識しているけれども、キャラクターの造りを「萌え属性」に頼りすぎず、属性だけでは説明できない特徴や情報量を多めに持たせたキャラクターづくりへと、界隈の流れは急速に傾いているようにみえる。

 新しいキャラクターを登場させるにしても、既存の「萌え属性」に邪気眼的超常能力を付与した程度のキャラクターでは、いかにも出来合いの、陳腐なシロモノにしか仕上がらない。これを避けるには、未知の属性を主軸とするか、既存の萌え属性だけでは回収しきれない特徴や描写を盛り込まなければ消費者をアトラクトしようがない。

 現時点でも既に、オタクは「萌え属性の純度が高すぎるキャラクター」には食傷気味である。ほとんど「萌え属性」だけで作品とキャラクターを構築し尽くした『らき☆すた』は確かにひとつの到達点ではあったが、逆に、萌え属性だけで突き詰めた作品としてはあれがひとつの限界点だったようにみえる。2008年以降にヒットした萌えコンテンツをみている限りで、美少女キャラクターに「萌え属性」に相当する特徴を持たせる傾向自体は続いているものの、属性そのものを前面に押し立てるような作品づくりは既に流行ではない。

 2007年以降にクローズアップされてきた作品群、なんでもいいが、例えば『とらドラ!』『けいおん!』『STEINS;Gate』なども、[ツンデレ属性]や[幼馴染属性]などがキャラクターの造型として含まれていないわけではない。しかし、「萌え属性」に準拠してはいても「萌え属性」だけに回収されないキャラクターづくりがしっかりされている。

 このようなキャラクター作りのお陰で、現在では「萌え属性」の文法をよく知らなくても鑑賞に耐え得るような作品 (しかし、できれば「萌え属性」の文法を知っていたほうがより楽しめるような作品) が、ライトノベルや深夜アニメ帯にも増えてきている。1997-2000年頃にもみられたことだが、既存の「萌え属性」への依存度が高いキャラクターは間違いなく飽きられており、「萌え属性」のテイストを薄めて人物としての描写や特徴を厚めにするか、「萌え属性」をパロディとして生かすか(例:作品内での“メイドコスプレ”)しなければヒットキャラクターになりづらい局面を迎えているようだ。


【新しい「萌え属性」の発明は追いつくか?】

 では、これから先、新しい「萌え属性」の発明は、オタク達の消費の速度に追いつき得るだろうか?

 1997-2000年頃にかけて、一度「萌え属性」が陳腐化しかけた事があった。[メイド属性]・[幼馴染属性]・[病弱属性]などが使われまくり、飽きられかけたことがあった。しかし、その後、[幼女属性]や[ツンデレ属性]、さらに[ヤンデレ属性]や[オタク美少女]といった新しい「萌え属性」が人気を博したこともあって息を吹き返した。

 けれども2000年代後半に入ってからは、人気を博するような萌え属性があまり出てきていない。敢えて挙げるなら、[男の娘属性]ぐらいだろうか。少なくとも、かつての幼女ブームやツンデレブームの時のような、一世を風靡するようなブームは視えなくなってきている。ライトノベル界隈を中心に、雨後の筍のように新しいキャラクターが投入されているにも関わらず、である。

 だから私は思わずにいられない;すでに、「萌え属性」はあらかた出尽くしているのではないだろうか?と。ニーズの高い属性は、おおむね発見され尽くしていて、今後はスローペースでしか新しい「萌え属性」は見つからないのではないだろうか。


【「萌え」は緩やかに衰退する?】

 「萌え属性」という記号を纏いつつも、「萌え属性」に依存しないキャラクターが求められているという現状をみるにつけても、2000年代前半に最高潮に達した「萌え属性」は、既に退潮期を迎えているようにみえる。そもそも、キャラクター消費の舞台が情報量の少なかった過去のエロゲー・ギャルゲーから、ライトノベルへ、そして情報量の密な深夜アニメへと移行するなかで、『動物化するポストモダン』を地で行くようなデータベース消費に依存しなければならない必然性は薄れてもいるのだ。しっかりたっぷりとした描写を施された、“おやくそく”を知らないライトな消費者でもカジュアルに楽しめる作品とキャラクターが、求められている。
 
 みようによっては、これは先祖がえり……1990年代以前への回帰のようにもみえるかもしれない。

 しかし実際には、二次創作や脳内補完に適した、「萌え属性」の構造はあるていど意識され続けるとも思われる。自分の望んだ通りの想像力を膨らませて脳内補完する楽しみをいったん覚えてしまった人間にとって、その快適さを忘れることはかなり難しいし、そのほうが摩擦なく自己愛を充たすにも向いている。作中のキャラクターの描写を分厚くしつつも、消費者が望むときにはいつでも「萌え属性」を抽出し、そこからキャラクターの脳内補完を好き勝手に楽しめるような利便性が今後も求められるだろうし、また、そうでなければコミックマーケットやニコニコ動画などの二次創作の現場で注目を集めきれないだろう。

 このため、「萌え属性」を前面には打ち出さないけれども、キャラクターのなかにフレーバーとして確かに「萌え属性」宿しているような、そういったキャラクター造型が向こう数年ぐらいは優勢ではないかと私は予測する。2006-2010年の流れとも、あまり矛盾しない。おもしろさを欠いた、ある種当たり前のような話だが、まだしばらくはこの傾向が続くだろう。

 ただし、このような予測を完全に覆す変動が起こる可能性は、ある。

 2009年にコナミが出した『ラブプラス』は、既存の「萌え属性」のキャラクター造型をほとんど無視し、声やタッチペンを多用した3Dグラフィックの恋愛ゲームとして登場したが、恋愛ゲームとしては十分すぎるほどのヒット作に至った。プレイヤーも、『ときメモ世代』のオジサンばかりかと思いきや若年層もそれなりに巻き込んでおり、新しい可能性を示しているようにみえる。

 この、『ラブプラス』型のゲームの場合、「萌え属性」に頼ってプレイヤーの脳内補完を促すのではなく、むしろ細かな身振りや癖といった密な情報をたっぷり届けてプレイヤーを満足させる傾向が強く、端から「萌え属性」はあまり必要とされていない。この場合、むしろ「萌え属性」のような定型を強調しないほうがプレイヤーに飽きられる速度が遅くて済むだろうし、ヒロイン達の色々な顔や意外な側面をタマネギの皮を剥ぐように発見していく楽しみを提供するには向いている。一年、二年をかけて一人の異性キャラクターとゆっくり付き合って新たなシチュを見つけていく楽しみは、それはそれで(主として鏡映的自己対象を介して)自己愛を充たすには十分であり、大きな喜びをプレイヤーに提供し得るだろう。ましてや、それが声や触覚を伴っているともなれば、尚更である。

  『ラブプラス』は、DSという、かなりスペックの限定されたハードでリリースされた。しかし今後、Windows7搭載機のような、よりスペックが高くオンライン環境を前提としたハードで相応の洗練を重ねれば、コンテンツとしてもビジネスとしても大化けする可能性は、あるだろう。すでにXbox360では『ドリームクラブ』というキャバクラゲームが発売されているが、『ラブプラス』のインターフェースやゲームシステムに『ドリームクラブ』の集金システムを掛け合わせ、3D描画を一段と磨き上げたとき、果たして何が起こるだろうか?『クリスマスパッチ』や『18禁パッチ』や『性格変更パッチ』を有料ダウンロードさせるようなゲームシステムとして確立してしまった時、オタク達はどう反応するだろうか?

 3D描画技術がもうちょっとだけ進歩し、適切なハードウェアで適切なマーケティングを行ったなら、『ラブプラス』型の恋愛ゲームは極端に発展する可能性を秘めている。少なくとも、既存の「萌え属性」が担っていた“ある種のニーズ”をかっさらってしまう可能性は間違いなくある。もし、その日が来たら、「萌え属性」を骨組みにして頭のなかでイメージを膨らませるような楽しみは――つまり、「萌える」という営為は――古典芸能とみなされるようになるかもしれない。  


【2012年追記:「萌え」はその後どうなった&どうなっていくのか】
 
 流行という名の時代の流れは速いもので、2010年にこの記事を書いた頃には最新のつくりと言って差し支えなかった『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『とある科学の超電磁砲』のキャラクター造形も時代の第一線から退きつつある。美少女キャラクターコンテンツの主戦場はライトノベルの独壇場ではなくなり、『けいおん!』以来、萌え属性とは慎重に距離をとり続けていた京都アニメーションは『氷菓』『中二病でも恋がしたい!』立て続けにリリース。「萌え属性」に頼らないキャラクター造形が、今まで以上に主流になりつつあるように見える※1

 ※1一方、『ラブプラス』型コンテンツは続編が失敗に終わったこともあって現時点では一歩後退するかたちとなった。

 もちろん、二次創作的・脳内補完的なオタク的楽しみ自体が廃れたわけではなく、ニコニコ動画には「薄い本が出るな」「キマシタワー」といったコメントが今でも並ぶ。そしてコミックとらのあなには無数の二次創作作品が売られてもいるわけだ。
 
 しかし、従来からの「萌え属性消費」の文化習俗にさほど親しんでいるわけでもなく、同人誌を買うこともないようなライトで新しい消費者が急速に増加している今、キャラクターコンテンツの消費シーンに占める「萌え属性」の重要性は相対的に小さくなっているように見える。ぶっちゃけ、「萌え属性」を意識したがるファンを少々軽視したとしても、そうでないカジュアルな消費者をしっかりつかめるような物語構成・キャラクター造形を心がければ、作品はヒットするのである。

 ライトノベルや深夜アニメが、若年者のサブカルチャーとしてマイノリティ的位置づけからマジョリティ的位置づけへと移動した今、キャラクター造形の主流は「萌え属性」を強調したつくりではなく、しっかりとした作品描写と物語構成、自然な人間感情/恋愛感情の描写に力点をうつしたものになりつつある。ある意味、90年代以前のアニメや漫画への回帰にも見えるこうした変化は、2011年〜2012年にかけて、速度を増しているようにも見える。キャラクターの自己対象としての機能も、二次創作的・脳内補完的なものから、素のままのキャラクターを素のまま自己対象として消費する様式へと様変わりしつつあるのかもしれない。

 こうしたキャラクターの心理学的機能、自己愛充当機能の様態変化は、現時点では表だって観測できるものではないし、明確に確認できるものでもない。また、これからもキャラクターの二次創作的・脳内補完的消費ニーズはなくならないだろうし、そのための作品ジャンルは残存するだろう。しかし、もし、objectたるキャラクターを脳内補完の材料として用いるファンより、直接的に自己対象として楽しむファンのほうがオタク界隈において優勢になってくれば、美少女キャラクターの生態系が大きく変わる可能性もある。少なくとも、00年代的な面影を残したコンテンツは今後急速に陳腐化していくと思われる。時代は確かに動いているのだ。

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