・4.『電車男』以降の「萌え」ブーム


 こちらの続きです。

 第一次「萌え」ブームは、あくまでオタクの内輪で「萌え」が定番化した出来事であり、質はともかく、規模的には社会現象と言えるほどではなかった。これに対し、2005年頃に起こった二番目のブームは、オタク文化圏の外側でブームに火がつき、アニメやゲームとは疎遠だった人達にまで「萌え」という語彙が拡散した点で、社会現象と呼べるだけの広がりを持っていた。
 
 自然発生的で起点のはっきりしない第一次「萌え」ブームとは異なり、2005年以降の「萌え」ブームの場合、起点となった作品がはっきりしている。『電車男』だ。

ドラマ電車男
ドラマ『電車男』 (C)フジテレビ、2005

 『電車男』は2chの独身男性板のスレッドを原作とする作品だが、この作品が大ヒットした頃からギャルゲーやメイド喫茶といったコンテンツのメディア露出度は急速に高まった。それも、どちらかといえば肯定的なニュアンスで、である。2ch由来の『キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!!』のようなスラングや、アスキーアート、メイド喫茶、ガンプラがゴールデンタイムのテレビ番組に登場するようになり、人気タレントが「実は僕もガンダムオタクで…」と打ち明けるシーンをみかけるようにもなった。これらは、オタクバッシングの激しかった1990年代には考えられないことだった。

 こうしてマスメディアに露出したこともあって、美少女コンテンツをはじめ、オタク界隈の産物は従来よりもカジュアルな印象のもと、広範囲の人に受け容れられるようになった。当時、“オタクの聖都”とみなされていた秋葉原や池袋にも、オタク趣味に疎遠だった筈の人がたくさん訪れるようになり、(内容的にはオタクとは無関係な)テレビドラマにも、アニメやゲームやインターネットに由来する表現技法が惜しみなく導入されるようになった。

 また、ちょうどこの時期、『パチスロ新世紀エヴァンゲリオン』のように、アニメコンテンツとタイアップしたパチンコ/パチスロがヒットしたのも、オタクコンテンツが普及していく後押しとなっていたかもしれない。


メイドカフェ画像
秋葉原のメイドカフェ・@ほぉ~むカフェ (C)アットホームワールド

 こうしたカジュアル化は「萌え」についても言え、美少女キャラクターやフィギュア、メイド喫茶といったものが、お茶の間のテレビに登場するようになった。かつては“濃いオタクの嗜好”とみなされがちだった「萌え」は、厳密な定義はさておいて、“かわいらしいメイドさんのコスプレにデレっと来る感覚を、どうやら「萌え」と言うらしい”というところまでは、世間的にも認知されるようになった。そしてブームが一段落した後も、メイド喫茶的はサブカルチャーの一形態として定着していった。
 
 また、地域のマスコットキャラクターや音楽CDのジャケットのような、オタクとは従来無関係だった領域で美少女キャラクターの図像をみかける頻度も大幅に増加し、地域振興の手段として「萌えおこし」なるものが使われるようにもなっていった。“オタクが愛好していそうな美少女キャラクター”を敬遠しなければならない時代は、終わったのである。
 
 尤も、このブームの前から「萌え」という語彙に親しんでいた古参のオタク達にとって、マスメディアを通して拡散する「萌え」のニュアンスは腑に落ちるものではなかったかもしれない。というのも、90年代の「萌え」にあった筈の「自分の感情をオブラートに包んで表明する機能」は、マスメディアが喧伝した「萌え」には含まれていなかったかったからだ。

 マスメディアは[「萌え」=かわいい美少女キャラクターへの愛着]という、一番わかりやすいニュアンスだけを掬い取って紹介していた。おそらくそれは、ブームをブームたらしめるうえで正しい選択だったに違いない。しかしこれ以後、「萌え」という語彙は、開けっぴろげな感情吐露の表現として次第に用いられるようになり、後年、「ブヒる」という身も蓋もないスラングが生まれる素地となっていく。

 それでも、特定の美少女キャラクターに「萌えている」最中の歓びや、“キャラクターという、絵に描かれた図像”を楽しんでいる際のまなざしは、この十数年間、それほどは変化していないようにもみえる。では、今も昔も変わらない「萌え方」とでもいうべき、まなざしのスタンスとはどんなものなのか?「萌え」たり「ブヒ」ったりしている際、キャラクターのどこをどういう風に認知し、何を脳内補完しながらオタクは楽しんでいるのか?

 実は、「萌え」たり「ブヒ」ったりしているオタクは、目の前に描かれている美少女キャラクターの図像そのものを精緻に愛しているわけではない。少なくとも、過去の骨董マニアやミニカー蒐集家、あるいはギリシア/ローマ彫刻の鑑賞家のように、対象そのものをぎりぎりまで観察し、それそのままに愛するようなスタイルとは一線を画している。

 同人誌やファンフィクションに象徴されるように、オタクがやっているのは、目の前に描かれたキャラクターそのものをそのまま愛しているというより「好みの特徴を持ったキャラクターや作品を芯にして、自分の空想や想像や願望を膨らませて楽しんでいる」と表現したほうが似合うような、何かである。

 こうした二次創作性、あるいは脳内補完性こそが、「萌え」を、ひいてはオタク的なコンテンツ消費というものを理解していく鍵となる。
 
 →続き『5.キャラクターは「萌える」ための骨組みとして機能している』に進む


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